
繰り返しになるのだが、私の関心は、日本の朝鮮統治とイギリスのインド統治あるいはアイルランド統治の比較にあった。いまあらためて前途遼遠を感じぜざるを得ない。
ところで杉本幹夫氏が日本の植民地統治と米国の植民地統治について比較研究を行っていることを知った。同氏は東大の電気工学科出身で、現在自由主義史観研究会の理事を務めている方である。研究の成果「データから見た日本統治下の台湾・朝鮮プラスフィリピン」は統計データに基づき植民地統治の比較を行った労作である。
杉本氏の著作にはまた「日本支配36年「植民地朝鮮の研究」謝罪するいわれはない」がある。これは、今日本が悩まされている対韓国関係について、われわれの理解を助ける一助となるのではないか。
そこでここではこの本について紹介することにしよう。
これは歴史そのものだけをつづった書物ではない。併合まであるいは統治時代の歴史だけではなく戦後の問題に至るまで扱っており、また歴史学者的思考にはない植民地統治について総合的な考察・評価をしている。(以下()内は私の記述)。
本書は先ず 序論において
(1)「異民族支配、即ち悪」は誤り とし、
著者の考察、意見を述べている。
(2)第二次世界大戦以降の国際軍事紛争事例(自衛権の発動と称しながら)
いくつかの例を挙げている。
1952年韓国は国際法を無視して、李承晩ラインを設け、ライン内に入った日本漁船152隻を拿捕の上、日本漁民2052人を不法抑留した。…・・
1956年イギリス・フランス連合軍がエジプトを攻撃した。…
以下の事例略
(私は、英仏のこのエジプト攻撃のニュースを聞いたときのことを忘れない。これは東京裁判で、我が国が宣戦布告をせず(通告が遅れたのであることは周知のとおり)真珠湾攻撃をしたことを罪状として、東京裁判を裁いた側が、宣戦布告なしにエジプト攻撃を行ったこと、それが国連に一端議論の対象になりながらうやむやにされたことに非常に不信感を持った)。
著者は、「これらの第二次世界大戦後の歴史から見ても日韓併合は、日本の安全保障の観点からの解釈・評価が不可欠であると筆者は信じて疑わない」としている。
以下本書の各章にそって紹介する。
第1章 搾取と奴隷化(とされるものの)の実態
この章では、日本の朝鮮統治において非難される種々の問題についてそれぞれに対する反論および日本側にあった問題点、反省すべき点を具体的に記述している。
■ 差別、言論の自由、教育、武断政治その他についての非難について
反論の一例、日本では内地居住者については、参政権が朝鮮人にも与えられていた。実際選挙によって選ばれた衆議院議員がいたし、貴族院議員も任ぜらてていた人も10名いたのである。アメリカが黒人に参政権を認めたのは、戦後1965年すなわち昭和45年である。(南部では市内電車の座席は、白人席と黒人席とに分けられていた。)
■歪曲された土地の略奪について
韓国の高校歴史教科書には、「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は、全国農地の約40%にもなった」、と書いてある。ところが土地調査事業が終わった僅か4年後の1922年(大正11年)、日本人保有農地はわずか6%にすぎない。
土地調査事業は日本が統治するにあたって、真っ先に行った事業である。この頃韓国では、永年の施政の乱れにより、権利関係がきわめて不明確になっている土地が多かった。…・・総督府では、数百年にわたり故事来歴を調べ裁定した。その結果韓国政府の主張通り官の所有権を認めた。……
しかしこの結果接収した土地を日本人に払い下げ、30万人以上の農民に不満を残したことは、寺内総督の失政であったといわざるを得ないとしている。
■3.1事件
(3.1事件(1919年):武装民衆による大規模な独立運動、騒擾。巡査2人が虐殺され内地人襲撃が起こった、これに対して鎮圧が行われ軍隊が出動し朝鮮人が相当数殺された。その数については諸説あるようである。)
著者はこの事件の起こった第一の原因はキリスト教徒がウイルソンの民族自決を信じたからであるとする。<日本の敗戦後、ビルマ、フィリピン、ベトナム、インドネシアにそれぞれ、英米仏蘭が戻ってきて支配しようとしたことは、ウイルソンのいう民族自決が白人民族のみの話であったことを証明している>、その点この民族自決運動をあおったアメリカ宣教師の責任は重いと著者はする。第二は一進会の恨みである。一進会は日露戦争当時から日本のために命をかけて働いた。しかるに併合がなるとたの政治勢力とともに解散を命じられた。三番目は、日本人に農地を奪われた農民の怒りである。
この事件について裁判が行われた。
その結果は、主犯についてその8人が懲役3年という刑、他の被告はそれより軽い刑であった。
インド、ベトナムでの英仏の暴動に対する対処はどうであったか。
1919年インドで起こった独立運動では、民族指導者の逮捕に抗議するため、アムリッツアール市内に集まった丸腰のインド民衆約2万人に向かって、イギリス人ダイヤー将軍指揮する完全武装の軍隊が一言の警告も与えず無差別発砲し、約400人の死者、1000人を超える死者を出した。
ベトナムでの民族独立運動では、1923年の手投げ爆弾の爆発事件で14人の死刑、1930年の革命軍によるフランス将校6人を殺害等した事件では、40人が死刑にされている。
そのほか、日本語の強制と朝鮮語の禁止、誤解の多い創氏改名、農林省の反対を押し切って行われた米の飢餓輸出、強制連行の実態 等について取り上げ、その事実はどうであったかについて述べている。
第2章 併合前の朝鮮
(1)まず外国人の見た併合時の朝鮮については、イザベラ・バードほか外国人の見た併合時の朝鮮について事項毎に紹介している。いずれも和訳文庫本になっているものでよく知られているのではないか(韓国誌、ロシアの調査資料の農商務省抄訳、龍渓社復刻を含む)。著者はこれらについて事項毎にコメントを付け加えている。
すなわち、1)第一印象、住居等 …3)商業4)通貨・・6)身分制度、両班の横暴…などの事項である。
(儒教の社会構造そのまま士農工商の秩序の従って、最下層に位置づけられる商業、流通機構が全く働いていなかったこと、私はこれに他の資料から得た知識を合わせて興味深く思う。朝鮮では通貨というものが全く機能していなかった。日本の江戸時代の商業流通機構の発展と大きい差がある。我が国では、江戸時代の商人は複式簿記をすでに知っていて、その導入はきわめてスムーズに行われたし、銀行業務についても同様の機構をつくった経験を持っており、即座に立ち上げることが出来たのであった)。
著者は、
8)結び として、イザベラ・バードの朝鮮ロシア国境のロシア側に住む朝鮮人居住者に対する観察をとくに取り上げている。すなわちバードは、
「朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのはくずのような民族で、その状態は望みなしと考えていた。…・・ロシア人から…勤勉で品行方正だと素晴らしい評価を受けている朝鮮人は…・」「そういった彼らの裕福さや品行のよさは、」…としるしている。
著者は、これより韓国人は自国に暮らすより、ロシア領内へ移った方が幸せになったということである、…・としている。これは著者の日朝関係に関する基本的見方に影響する見解である。
(2)朝鮮近代化の始まり・江華島事件~(11)日韓合邦を主張した一進会149ページ~239ペ~ジ
ここ約80ページには併合までの歴史が述べられている。大院君、閔妃、大院君の三者と日、清、露3国の関係が七転、八転する複雑な過程が要領よくまとめられ理解しやすいように思う。とくにロシアと日本の関係についてわかりやすいところがよい。また事件によっては、いろいろな史観による解釈についての著者の見解が書き加えてある。たとえば、日韓関係初期の雲揚号事件について、日本の武力挑発とする史観に対する著者の見解など。
記述の仕方がとくに客観的という立場にこだわらず、著者の見解も入れてその視点からのまとめ方になっているからわかりやすいと言えるのかも知れない。
第3章日本統治下の朝鮮
(1)寺内総督の内政改革 (2)斉藤総督の文化政治 (3)道徳教育から始まった教育(4)農業の進歩 (5)朝鮮の産業革命 (6)30年代のマスコミのリーダー達 (7)朝鮮人の地位をはかった小磯総督
以上のように大体、歴代総督の時代の統治の特徴にそって述べられているが、宇垣一成総督時代のことは、上記(3)の農業の進歩の中で記述されている。
行政機構の整備、交通機関の整備、道路の整備、森林の育成、衛生の改善、治安維持、教育の普及及び改善、産業の開発、がいかに行われていったか。どの様な問題があって、それをどう解決したかについて述べられる。
第4章 戦後の韓国
(1)日本から見た戦後の日韓関係
三国人問題 なぜ、三国人とよばれるようになったか。敗戦国日本人でも戦勝国人 でもない立場に置かれることになったから。もちろんマッカサーの指令によってである。
(2)停滞した李承晩時代
日本の降伏直前、突如参戦したソビエトの侵攻によって朝鮮半島は38度線によって分割され、南側は、李承晩を大統領とする大韓民国が成立する。大韓民国では、発足当時から左翼勢力が強くストライキ、反乱等に悩まされる。停滞した社会であった。李承晩時代、韓国はアメリカの援助に頼りきりであった。
著者はこの時期に唯一評価されるものとして教育の普及を挙げているが、教育はある程度に達すればあとは急激に普及する性質を持っているので、日本統治時代にそのベースはできあがっていたとしている。
終戦後5年、1950年6月25日北朝鮮軍が突如として韓国に侵攻してきた。アメリカを中心とした国連軍が参戦した。(が、押しに押されて一時は釜山周辺の一隅をようやく確保した状態に至るまでになっていた。これを仁川の逆上陸作戦によって逆転、一端鴨緑江近くまで押し戻したが、中国の大軍(義勇軍と称する)の参戦により、再び押し返され38度線付近での攻防となり休戦。今日なお38度線を挟んだ休戦状態にある。戦後、ポーレー報告により、我が国はあらゆる工業に厳しい制限を課され、将来に希望がもてなかった。日本はこのときいわゆる戦争特需により、復興のきっかけをつかんだともいわれる。アメリカはこの頃ようやく共産主義の恐ろしさに気づき、日本に課した産業制限を解除することになる。)
この朝鮮戦争により、韓国は甚大な被害を受けた。それなのになぜ中国を恨まないのだろう。
(3)日本の戦後補償について 戦後独立国は宗主国に接収財産の保証をするのが世界の常識である。 日本はこの世界の常識の真反対をやっている。
(4)韓国発展の開始・朴正煕時代、((日本の士官学校を卒業した)軍の将校であった朴正煕がクーデーターを起こし(1961年)大統領になった(1965年)。この時代、日本との国交を回復し、韓国経済は急激に発展した。漢江の奇跡とよばれる。浦江製鉄所を代表とする重工業の発展、農村のセマウル運動)。
なぜか。(朴正煕の施策も大きいが、もひとつには)いわゆるベトナム特需である。フィリピンはベトナムに韓国より近い。しかしこのチャンスを生かせなかった。その理由は、韓国の潜在能力がフィリピン(工業の発展度、インフラ整備の度合い、教育の欠陥など)に勝っていたからである。これは日本とアメリカの植民地政策の違いにあったといえる。日本との関係がいかに韓国の発展に寄与したかを書いてある。
第五章 他との比較
日鮮同祖論と高天原・朝鮮説、台湾統治との比較、東南アジアの植民地時代として、イギリスのインド統治、オランダのインドネシア統治、アメリカのフイリピン統治、フランスの植民地政策についてそれぞれその概略を述べている。他書にはあまり見られないなかなか興味深い章であるがその中身に付いてはここではふれないで置こう。この章の結論として著者は次のように締めくくる。
「以上を総合すると、日本の植民地統治がもっとも良かったと思う。次いでアメリカであり、もっとも悪かったのが、オランダとフランスだったように感じる。」と。
結論
(1)韓国・北朝鮮に謝罪は不要
日本の統治は謝罪せねばならぬほど過酷なものであったか。先ず歴史の歪曲の第一は、併合前の朝鮮の実態についての認識がないことである、とする。
次に土地調査におけるいわゆる略奪の真実の歪曲を挙げる。三点目として、1930年以降の日本の貢献を全く無視していること。
しかし日本にも失敗があった。まず参政権、いじめ差別のあったこと。しかしこれは当時の国際比較からしても人種差別が当然の時代にその水準以上を望むことは無理である、と著者はする。憲兵警察、創氏改名、徴用、兵役による犠牲者。それに併合前の不良邦人の流入。
日本の貢献。台湾では、海南島との比較で日本の貢献を認めている。
「われわれが頼んだわけではない」論。
これについて著者は企業の合従連合に例えて説明している。会社の合併が実を結ぶまでにはある年数がかかる、国の併合もこれと同じ、と。
国際比較
前述の通り。
(2)韓国併合は自衛権の発動
1)ニクソン・佐藤共同声明
2)答えはこれ一つにつきる。ここで述べていることは、ポパーのいうところに同じである。
著者の基本的立場は、「異民族支配、即悪は誤り」、および日鮮同祖論である。これは樽井の「大東亜合邦論」に通じるものと思われる。
民族自決に反対の立場と読める。民族自決は共産主義とともに、20世紀を支配した問題の多い間違った理念であったとする。求められる社会は「差別がなく、自己実現のチャンスが与えられる社会」で、支配者の国籍・人種とは無関係とする。
これらの点は明らかに先に紹介した「歴史を偽造する韓国、韓国併合と搾取された日本」における中川八洋の思想 とは異なると思う。
併合それ自身は是とし、それを前提として書かれている。著者は「第二次世界大戦が起こったために、併合が成功するまでの必要期間が不足した」と考えている。
われわれはどう考えるべきか。
杉本幹夫:「植民地朝鮮」の研究、展転社、2500円+税


by お絵かき爺
加曽利貝塚博物館へ行った